1月雑感 「中間地点」に立つ
「学ぶ人と学びとの関係を整える」というのが、この仕事の主要なテーマなのかもしれない。「二階の窓」は必ずしも勉強の「わかりやすさ」を提供する場所ではないと思っています。わかりやすい授業はもちろん大変けっこうなのですが、気を付けていないとそれを受ける学ぶ側が「お客さん」の席に座ってしまう。そうではなくて、主体性のサーブ権は常に学ぶ人の方にあるようにする。この場所がなにより大事にしているのはそのことです。
「二階の窓」がうまく機能しているとき、先生の立場である僕の身体は暇になります。各自が自分のやるべき/やりたい課題に向かって没頭していて、自学自習のサイクルが回転しているとき、僕は「ほとんど教えることがない」状態になります。そういうのがひとまず目指すべき状態
身体が暇になると、頭を忙しくします。ひとたび回り始めたサイクルが、いつなんどきどういうきっかけでうまくいかなくなるとも限らない。急にわからなくなったり、飽きたり疲れたりする。そういう展開に備えて「次、次の次」を考えておく。
そうしているとき、僕は自分のことを「学ぶ人と学びとの中間地点」にいるものとして考えています。中間地点に立って、双方の言い分を聞いて、関係性を調整する。
たとえば、学ぶ人の側が「おれはこれしか勉強したくないもんね」と言ってある特定のことばかり勉強していたとしたら、それはそれで愉快かもわからないけれども、現実的に困ります。「学ばなければならないこと」というのもある。
けれども、だからと言って「黙ってこれもやりなさい」というのでは、いかにも芸がないし、学ぶ側がその気にならないとうまく成果にもつながりません。そこで、工夫をする。そのとき、僕は「学ぶ人と学びとの中間地点」にいて、その関係性を整える仕事をしています。
どうやったら学ぶ人とその学びとの双方がいい関係でいられるか。学ぶ人が嫌な思いを我慢して苦しそうに学ぶのはちがうし、かと言って学びの側があんまり譲歩して本当の面白さが伝わらないのもよくない。理想は学ぶ人それぞれにとって得意なやりやすい形で学びの本質的な部分まで楽しめるようになることで、どうしたらそれに近づいていけるか。
人は皆それぞれにちがっているから、誰か(たとえば、僕自身)にとってうまくいった方法が他の誰かに当てはまるとは限りません。経験的に言って、「この子はあの子の成功例がそのまま当てはまったな」なんてケースは一度もなかった。誰にとっても正しい「正解」はどこにもなくて、それぞれの個別性の中にある「最適解」を模索するしか方法はありません。
いかにも思うに任せず、むつかしいほどおもしろい、この仕事の醍醐味がこれです。