「二階の窓」は何のためにあるのか
この度、「学びの公園 二階の窓」のパンフレットを作り直すことにしました。これで4回目の改訂作業になります。「二階の窓」ができたのは2016年で、今は3年目の中頃です。1年に一回を超えるペースでパンフレットを作り直していることになる。これまでの改訂は、年度の頭(つまり4月ごろ)に、オープン日が変わったとか、月謝が変わったとか、主にそういう事情を反映させるためのものでした。今回は少し違っています。
今回の改訂の主題は、記載内容の更新にあります。「二階の窓ってこんなところです」というメッセージを改めて書き直したく思いました。3年も経てば、いろんなことが変わるものです。そして、決して変わらないこともある。その両方をつまびらかに書き記しておこう。それが今回の新パンフレットの主要なテーマです。
「二階の窓」が始まったばかりの頃、ここにはおよそ学習塾らしいものは何もありませんでした。テーブルと椅子があって、先生らしき僕がいるだけ。手描きの小さな看板を出して、週に2日火曜日と木曜日だけやっていた。はじめの頃はほとんど誰も来なくて、ひどく暇だった。僕はその頃もう一つ離れた場所で塾の仕事をしていたから、そちらの収入を主なあてにしてなんとか暮らしていました。そうやって続けていくうちに、人づてにこの場所のことが知られるようになって、通ってきてくれる人が増えて、席数を増やしたり、コピー機やホワイトボードといった備品をそろえたり、時間をかけて学習塾らしい場所に育っていった。そういう経緯があります。
今ではこだわって集めた良質な教材の数々が本棚を占め、入試や模試の過去問アーカイブも整い、それらを使いこなすための方法論も確立されつつあり、ずいぶん「それらしい」場所になってきたと自負しています。学習塾の類が一般的に求められるであろう「成績向上に寄与する」というサービスを「二階の窓」も自信をもって提供できる準備が整っている。そのことを一つ声を大にして言っておこうと思いました。
大切なことは、こうした「二階の窓」の成長はひとえにここに通ってきてくれる学ぶ人たる子供たちの、彼らをここに通わせてくれている保護者の皆さんのおかげであるということです。ほとんど空っぽの空き地みたいな「二階の窓」を見つけて通ってきてくれて、それぞれの成長のためにこの場所を活用しようとしてくれる彼らがいてはじめて、この場所は前に進むことができている。こうした文章は僕が書いているけれど、「二階の窓」という主語を使うとき、僕はある種の集合的意思を代弁しているような気がしています。僕は自分がはじめた「二階の窓」に胸を張っているのではなく、みんなが育ててくれた「二階の窓」に胸を張っている。それがとても大切なポイントです。
そうやって「学習塾っぽさ」を獲得していく一方で、始まりから一貫して変わらないこの場所らしさというものあります。それがなければ、わざわざ個人塾をやっている意味もない。これまで4回作ってきた「二階の窓」のパンフレットのすべてに、エマニュエル・レヴィナスという人のこの言葉が載っています。
「教育とはあくまで自由意思を持った存在者に対する働きかけであるべきです。それは自由が目的それ自体であるからではありません。そうではなく、自由が常に人間が達成しうるあらゆる価値の条件であるからです。」
この言葉は、いわば「二階の窓」の行動原則第一条です。「困難な自由」という本の中からこの言葉を見つけたとき、何とも晴れがましい思いがした。これでいいんだ、と思いました。こういう場所があったらいいじゃないか。
どれだけ成績が上がりやすい効率的なシステムが用意されていたとしても、肝心の学ぶ人の側の意思が尊重されていないなら、それは絵に描いた餅に過ぎない。大事なのは子供たちそれぞれの中で起きていることにフォーカスすることであって、予め用意された答えを外から一方的に与えることではない。機械を扱うのではなくて人間を育てているのだから、それぞれの個別性に配慮できる柔軟なシステムでなければ意味がない。
いわゆる「学習塾業界」に対して、こうした違和感をじくじくと覚えていました。「二階の窓」はこのような問題意識の下で始まっています。だから、自由を重んじる態度は一貫して変わらないどころか、むしろより確信を得て強化されているとも思います。
人というのは、ときおり「爆発的な成長」を遂げるものです。昨日まで「1たす1」のペースでゆっくり前に進んでいたのが、突然かけ算のペースに移行してちょっとした別人のようになっていく段階というのがある。「突然」という言い方は実は正確ではなくて、ゆっくり足し算をやっているその過程の中で目に見えない爆発の火種がわかりにくい形で育っているというのが本当のところなのですが、とにかくそういうことがあります。そういうことが起こるにはいくつかの条件があるのですが、その一つに「大人の目が届いていない」というのがある。
「爆発的な成長」は、大人の目が届いていないところでこっそりと、サプライズみたいにして起こります。それが塾の先生をだいたい15年やって、10代の人の成長の仕方を見つめてきた僕の実感です。「見つめる鍋は煮えない」ということわざがありますが、成長を促したいとき、必ずしも四六時中、一挙手一投足を把握することに努めるのは賢明な態度とは限らない。むしろ、「片目をつぶって放っておく」くらいの方がちょうどよかったりする。夜寝ている間に背が伸びるみたいに、気を緩ませられ、だらしなくなれる、そういう余白のような時間の中でこそ、本質的な成長の芽は育つ。
「二階の窓」が「学びの公園」を名乗るのは、そういう考えがあってのことです。時間割もなければ宿題もない、お菓子食べ放題で晩ご飯も出る。そういう雰囲気を保ち続けているのは、子供たちの成長という第一目標に対して最も効果的であろう環境がこれだからです。こうした価値観についてもまた、まとまった言葉にしておきました。
そんなこんなで、これまでで最長の14ページにわたるパンフレットになりました。ひとまず、「二階の窓」について今言えることはすべて言い尽くした。さて、ここからまた新しいスタートです。3年間かけて今の姿に育った「二階の窓」が、また新しい3年間の中でどこまでいけるか。守るべき価値観を守りながら、どれだけ新しくなり続けることができるか。また来年、全く違った内容のパンフレットを作っているかもしれません。
学ぶことは変わることであり、それは生きることの本質に深く通じていると思います。だから、学ぶことを支えるのは生きることを支えるのと同義である。僕が学びについての仕事を一貫して続けているのは、そのことを強く信じているからです。