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そのような未来

僕がやっている「塾の先生」みたいな職業では、一年という時間の区切りは、暦の通りというより、学校の「年度」(4月に始まり、3月に終わる)に即して考えるようになるので、3月を迎えた今、僕は事実上の年(度)末を過ごしているということになります。反対に、本物の年末年始の頃合いは、たいてい受験のことでてんやわんやになっているので、とてもそれどころではなくて、忘年会も新年会もなければ、紅白歌合戦も箱根駅伝もない、非情緒的に通常営業な時間を過ごしているのだけれども、僕はむしろそのことをとても気に入っている。大騒ぎ、というのは僕が最も苦手とする分野のことであるから。しかるに、僕は今こうやって午前中の机の前に座りながら、誰と祝うわけでもない地味でひっそりとした年末を堪能している。どこまでも個人的でささやかな満足感と共に。こういうのって、いかにも一人っ子的だよなと思う。もちろん、全ての一人っ子がこんな風であるとは思わないけれども。

 2016年4月に始まり2017年3月に終わる僕にとっての今年というのは、丸ごとそのものが試行錯誤だったみたいな、そんな一年でした。ちょうど一年前の3月、週の半分勤めていた塾を辞めて、その分の時間を新しく始めた「学びの公園 二階の窓」などに充てることにしたことで、僕は3年前から始まっていた「練馬FC補習塾」を含めて、「先生稼業」において丸っきりのフリーハンドを手にすることになった。つまり、僕は「二階の窓」においても「練馬FC補習塾」においても、その活動内容をほとんど自分の裁量で決められる権利を持つ立場に立つことになった、というわけです。それは言うまでもなく、それまでの僕の人生では経験したことのない、新しい状況だった。ついでに、帳尻を合わせるみたいにして、僕はその4月に30歳を迎えた。こんなわかりやすい区切りって、なかなかあったもんじゃない。

 「学びの公園 二階の窓」と、「練馬FC補習塾」は、その成立の経緯や活動主旨こそ違うけれども、なにしろ同じ姿かたちをした同じ人物が運営しているわけだから、その基本原理みたいなものは共通しています。それは、短い言葉で言えば、自由と主体性の尊重ということになる。その場を主宰するのは紛れもなく僕だし、そこで生じることに進んで責任を負う立場にあるわけだけれども、それでも、僕は僕が開いている場所に来る人たちに、「ここは自分の場所なんだ」という風に感じてもらいたくて、そのためにいろいろ気を付けていました。「先生と生徒」という間柄というのは得てして、すぐに「教える側」としての前者と「教わる側」としての後者という具合に、一方通行の役割分担に落ち着いてしまうきらいがある。そして、学校や塾といった場所では、たいていの場合、「教える先生」の方に主体性が偏り、「教わる生徒」の側が受け身の客体になってしまう。僕は、僕が責任を持てる範囲の中においては、なるべく、その構図を生じさせたくなかった。そのことを、僕はほとんどどんなことよりも重く見て、何があっても変えてはいけないルールみたいにして自分に課していました。

 だから、「学びの公園 二階の窓」と「練馬FC補習塾」では、自己決定ということが何より尊重されることになっています。その日塾に来るかどうか、どれくらいの時間そこにいるか、何の勉強をするか、勉強と息抜きの塩梅をどうするか、そういったことは全て各々の裁量にゆだねられている。決まった授業時間があるわけではないから遅刻というものがないし、塾に来たのに勉強に身が入らないようなことがあっても、指摘こそされども𠮟責の対称になることはなく、なんなら、ずる休みをしたって咎められたりはしない。勉強している間、僕を質問攻めにしても構わないし、まるっきりいないものとして自習に励んでも構わない。なにしろ、そこは学習者としての彼らの場所であるわけだから。学ぶ人の便宜と自由が最優先される場所であることが、僕が開く場所において何よりも重きを置かれるべきものなのだから。

 場の主宰としての僕は、言ってみれば、公園の管理人みたいな役割を果たすのが適当であろうと、そんな風に思っています。伸びすぎた雑草を除去したり、遊具のメンテナンスをしたり、ゴミの始末をしたり。困っている人がいれば声をかけ、誰も困っていなければ特に何もしない。特に何もしていない間は、そこに何か困ったことが持ち上がらないように、そうした予兆にじっと注意を払いながら、耳を澄ませている。そこにある、音になる前の音や、言葉になれずにいる言葉に、少しでも気が付けるように、全身の感度を上げる。もちろん、それはあくまでも形而上的な、目には見えない作業なので、表層的に見れば、僕はほとんどの時間ただ何もせずぼおっとしていて、時おり意味もなくウロウロしている人、ということになる。端的に言って、ただの暇人と選ぶところがない。あるいは、本当にそうなのかもしれないけれども。

 そうやって自由放任で気前よくやっていて、しかし、月謝を支払うに見合うだけの効果みたいなものを提供することはできるのだろうか。そのことは、ほとんど一年間の間、僕の頭を離れることはありませんでした。習慣的に考えると、仕事の対価というのは、何かしらの行動をとることによって発生するものではるはずです。形ある商品を産み出したり、形のないサービスを提供することによって、原理的に、僕らの労働は成り立っている。その原理に照らして言えば、僕が日常的にやっていることは、対価を生じる種類の労働のあり方はとはずいぶん違っているようにも思える。何もしないで座っていたり、ほとんど無目的に歩き回ったり、無意味なお喋りに興じているだけの時間が、うんとたっぷり(自慢じゃないけど、本当にうんとたっぷり)あるわけだから。

 そういう疑問に足を取られたことは、この12か月の間に、一度や二度ではありませんでした。それでも、その都度時間をかけてうんと考えて、細々とした修正をいくつか加えながら、初めに掲げた原理原則はほとんど手付かずのまま冬を越え、二度目の春を迎えることができそうです。いろいろなことがあったけれども、僕は今でも、自由と主体性の尊重を、その必然性と有用性を、言い換えると、僕が暇人であることの妥当性を、他の何よりも信じている。もちろん、あるがままの自由と主体性には、特にそれが若く未成熟なものであるほどに、見ていられないほど頼りなく、安全や近道の目印をあっけなく見落とし、同じ机の角に何回も頭をぶつけるみたいにして、失敗や遠回りへの逸脱をしつこいくらい繰り返す、そういうところがあります。はっきり言って、非効率的である、もちろん。近視的視座に立って費用対効果を算出するならば、自由の価値はもうほとんどゼロに等しい。そして、そうした近視的視座からの要請は、年々その声を大きくしているように思える。僕らが暮らしている社会について、僕はそのことを考える。

 それでも、僕がその一見頼りない自由と主体性に信を置くのは、ほとんど手でつかめるくらいの手ごたえを伴った実感として、僕の場所に来ている人たちが、彼らが確かな成長を遂げている、という実感がそこに認められるからです。

個人的には、成長には2つの種類があって、量的な成長と、質的なそれとに分けて考えられるのではないかと思っている。量的な成長というのは、例えば、年齢が上がるとか、身長が伸びるとか、そうした種類の、数字に置き換えて把握できる成長。勉強のことで言えば、テストの点数とかがまさにここに入ります。質的な成長と言うのは、例えば、本を読むようになるとか、付き合う友達が変わるとか、そうした内面的な変化のこと。勉強のことで言うと、自分なりのやり方を工夫するようになるとか、そういうのがここに入る。

 言うまでもなく、ほとんどの「学習支援的サービス業」というのは、前者の量的な成長に寄与することを主務として運営されており、そこには支払われた月謝額と得られた効果との間に等価以上のものを求める消費側の自然な願望に応える形で、数値化しやすいそうした変化に重きが置かれているという事情があります。僕が改めて論じるまでもなく、それは僕らが暮らすこの社会ではごくごく自然で、当たり前の光景である。しかし、それはもちろん自然で当たり前の見慣れた状況ではあるのだけれども、果たして、それはまっとうで正しいものであると、言うことはできるのだろうか?「いま、現実にそうなっている」ということだけでは、「それが然るべき、まっとうな状態である」という結論を導くのに十分な根拠にはならないだろう。僕らが当たり前に見慣れているこの光景は、しかしながら、本来ならば是正されているべき何らかの歪みのようなものを、見えにくいところにじっと隠し持って成立している、そのような光景ではないのだろうか?そう思えてしかたがないときが、僕にはある。

 そういう疑問を、僕はこの「塾の先生」という仕事を始めた10代の終わり頃から、こうして言葉にできるかどうかはともかくとして、一貫してずっと持っていたように思います。そして、年を追うごとに、その疑問は一向に解決されることなく、むしろ大きくなる一方だった。雪玉が坂道を転がるにつれて巨大化していくみたいに。いつまでも坂道は続き、そのスピードは速くなるばかり。そういうわけで、僕はひとまず坂道を下りるのをやめて、コース外のわき道にそれて、しばらく様子を見てみることにしました。量的な成長を促す作業(テストの抜け道を教えたり、無理やりに勉強量を増やさせたり)をなるべく控えて、質的な成長を支援する作業を模索した。その方面には、はっきりと頼りになる前例みたいなものは見当たらなかったから、文字通り手当たり次第、結果オーライの精神でトライアンドエラーを重ねた。別に勇気や自信があったからそうしたのではなくて、他にどうすることもできなかったからそうしていた。僕の頭にあったのは、「こうすればうまくいく」という前向きなアイディアよりも、「これではダメだ」という否定的な事例でした。そうした否定的な事例について、僕にはそれまでに、「これほどか」と言わんばかりの蓄えがあった。実際に肌身で経験したもの、あるいはこの二つの目と耳で見聞したもの。

 そうした「これではダメだ」を避けながら、いかにして、営業体としての塾を成り立たせるのか。むやみに量的成長(わかりやすく言い換えると、「結果」のこと)を急かすことなく、目に見えにくい種類の成長を促しながら、ある種のサービス業としての経済的位置づけを守っていくか。僕は、ほとんどずっと、そのことを考え続けてきたみたいです。そして、きっとこれからも、このことが課題でなくなる時は訪れないのではないかと思っている。それは「これにて、落着」と思った瞬間に足元をすくわれる、決してすっきりと解消してはいけない、そのような種類の葛藤なのではないかと、僕はそう思う。そういう、「片付かない何か」を一つ二つ小脇に抱えていることというのは、うまく言えないのだけれども、なにやらとても大事なことのように思える。

 そのうえで、そうした疑問には最終的な回答など存在しないことを承知の上で、それでも、「今年」を終えた僕は、求めていた種類の手ごたえの一部を、確かに手にしていると言っていいと思います。つまり、数値で測りにくい質的な成長において、それを促す技術のようなものの体系が、僕の中に出来上がりつつあるという、そういう感覚が確かにある。そして、そうした質的な成長が、結果的に、回りまわって、経済的な価値を持つ量的な成長にも好影響を与えるような、そんな循環を産み出すことが、ほんの少しずつだけれども、できるようになってきた、そんな手ごたえがある。

 僕のところで学ぶ彼らが、それぞれに主体性を持ち、工夫や努力に楽しみを見出し、失敗や障壁から糧を得ながら、自分を更新していく作業に集中している光景が、確かな現実としてそこに現れつつある。そして、その光景の先に、必要なだけの「結果」がきちんと用意されているものだという確信も、また、「今年」を通過したことで、僕の中には生まれています。言い換えると、「これでいいのだ」という自信が、「今年」を通過した僕の中に、より強固なものとして宿っている。

 言うまでもなく、そうした光景こそ、僕がこうして塾を開きながら、目にしていたいと思っている何かです。そこには、確かに信頼に足る未来が感じられる。ほとんどどんなものよりも確かに思える、そのような未来の前触れを、僕は「砂かぶり」で目にすることができる。僕はそのことを嬉しく思っています。ほとんどどんなことよりも。

 僕が開いている場所に生まれつつあるそうした「渦」のようなものが、果たしてどんな場所に僕を(あるいは、僕らを)連れて行こうとしているのか、その展開を僕は楽しみに待つことにしています。それは確かに僕がまいた種かもしれないけれども、もうほとんど、僕の手に負えないくらい、独自の生命をもって活動しているみたいに思える。だから、僕はただ力を抜いて、そこにある流れに身をゆだねることにする。

 他にどんなことができるだろう?

「どれほど『ろくでもない世界』に住まいしようとも、その人の周囲だけは、それがわずかな空間、わずかな人々によって構成されているローカルな場であっても、そこだけは例外的に『気分のいい世界』であるような場を立ち上げることのできる人間だけが、『未来社会』の担い手になりうる。

 私はそう思っている。」

(思想家・内田樹)


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