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それがそこにあったときに。

 この前の9月をもって、原宿のカフェ「mf」が閉店することになった。mfは中南米のサッカーをテーマにしたカフェで、それらしく、ワールドカップの試合を大きい画面で流してみんなで観る、みたいなことをやっていた。けれども、それらしくないところもあって、カジュアルな講演会(トークイベント)を催したり、ラテンの音楽や映画を楽しむ会があったり、洒落たテラス席で裏原宿を行き来するファッショナブルなピーポーを眺めたりすることもできた(と言っても、すぐ隣が幼稚園だから、わりに生活感のある通りだったりする)。

 僕はこのカフェを贔屓にしてよく通っていたのだけれども、それは店長の「有坂哲さん」(以下「テツさん」)が僕の恩師だったからです。僕はこう見えても小学校からサッカーをやっていて、中学校に上がるときにテツさんがコーチをしているチームに入った。いや、正確に言うと僕が中学校に上がるタイミングでそのチームはまさに誕生し、僕が選手第一号として加入すると同時にテツさんが初代コーチに就任した、みたいな感じです。なにしろできたばかりのチームだったから人がそんなにすぐに集まるはずもなく、しばらく僕とテツさんは二人きりで練習していた。なにしろサッカーはチームスポーツだから、こういうことってほとんど聞いたことがない(そして、それは僕の人生に訪れる最上の幸運の一つだった)。この話を続けると長くなるので先に行くけど、とにかく、そんな風に僕はテツさんの世話になっていました。

 僕が初めてmfを訪れたのは確か3年くらい前のことで、テツさんが店長になって1年くらいが経ち、僕は27歳で仕事を辞めたばかりだった、おそらく。そして、それからというもの、僕は足しげくその店に通うようになった。どれくらい「足しげく」かというと、週の半分以上をそこで過ごしていたようなときがあったくらい。僕が住んでいる東村山からお店がある原宿まではだいたい1時間くらいの距離があるのだけれども、その頃の僕にはそれは何ら問題にならなかったですね。僕には埋めるべき時間と、使うべき体力と、行き場を求めるべき感情が売って余るほどたっぷりあった。

 そんな風に仕事を辞めてぶらぶらしていた理由を、その頃には色々と説明できていた気がするんだけど、今となってはほとんど思い出すことができない。えーと、どうしてだったっけ?ともかく、僕は大学を出てから4年間務めた会社を辞め、その後の展望みたいなものを一切持つことなく、だいたい3か月の間を無益に過ごしていました。そして、その無益なる3か月のかなりの割合を、mfに通うことでやり過ごしていた。カレーを食べてコーヒーを飲んだり、イベントの常連客になったり、野外出店の手伝いをしたり、テラス席で雨を眺めたりして。

 やがてそのエアポケットみたいな時間も終わり、僕はだんだん人並みの生活を送るようになって、「足しげく」のレベルは一目盛りずつ減っていったけれど、それからも折に触れ、僕はmfを訪れていました。それで、閉店のことを聞いてカレーの食べ納めをしなくちゃと思って、9月の終わりの金曜日の午後にお店に行ってきた。カレーを食べて、マテ茶を飲んで、テラス席で雨を眺めた。いつもそうしていたみたいに。

 mfのことを考えていると、僕はあの頃の、どこかに行き場を求めてさまよっていたみたいな、奇妙な3か月のことを思い出す。僕は期待しながら不安に苛まれ、自失しながら自信満々で、楽観的に悲観しながら悲観的に楽観していた。そういう混乱した時間の記憶と、mfという場所は僕の中で別ち難く結びついている(勝手に結びつけられるのも迷惑だと思うけど)。そして、これがいちばん大事なことなんだけど、僕はそんな風にとっちらかっていたその頃のことを、わりに好意的に振り返っています。なにはともあれ、その時間があってよかったと思っている。でも、もしそこにmfがなかったら、それはずいぶん違った時間になっていただろうと、そう思う。ひょっとしたら、もっと危ない方向に流れていったっておかしくなかったんだって(今だってそれほど安全とは言えないのだけれど、もちろん)。

 そんなわけで、mfがそこにあったときに僕がそこにいられたことを、僕は幸運だったと思っています。


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