やりたがっている、ということ
この「和音(にほんのおと)」のフライヤーをつくったのは先月のはじめで、そのころ僕は「MARCHE~多摩の輝く女性たち~」に向かう準備で結構忙しかった。なにしろ、同じ締め切りを持つ4~5件の仕事に並列的に(乱立、と言った方が近い)取り掛かっていて、その合間に日常的な仕事や雑用をせっせと片づけていたのだから。そのころの僕はちょっとした期間限定のランナーズハイみたいな状態になっていて、一つひとつの作業のスピードは自分でもびっくりするくらい速かった。そんなわけで、この「和音(にほんのおと)」のフライヤーも、依頼をもらったその日の夜にほとんど完成形が誕生していました。
どうです、すごいでしょう。という話がしたいんじゃなくて(もうしたけど)、僕が思ったのは、このフライヤーがそんなに早くできあがったのは、この「和音(にほんのおと)」というイベントが、依頼を受けたその日の時点で既に明確なイメージやビジョンを伴って成立していたからだと、そのイメージの明確であったがゆえに僕の仕事はほとんど迷わず正しい道筋を最短距離でたどることができたのだと、そういうことです。僕はこのイベントの話を聞いて、素材としての写真をいくつかもらって、演奏される曲目のリストをちらっと眺めただけで、このイベントがまとっているべきイメージについてかなり詳細な像を描くことができた。そういう形になる前のイメージさえ明確になってくれれば、手を動かして物を作ることはそんなに大変な作業じゃない。反対に、手はすぐにでも動くのだけれども、イメージが固まっていなくて…という方が困るし、そういうのはけっこう多い。何が言いたいかというと、この仕事は実に楽に(より誤解のない言い方に直すと、「スムーズに」)進んだ仕事だった、ということです。
どうしてそうなったかと言うと、これはひとえに、歌い手である野﨑恵子さんの側にこのイベント(お客さんを呼んで歌を聴かせる、という機会)に対する前のめりな熱意がはっきりとあって、それが末端の広告製造者である僕のところにも伝わってきたからだろう。当たり前のことに聞こえるかもしれないけど、彼女は実に歌いたがっていて、それを聴いてもらいたいと思っている。そのことが僕にもわかるくらい、強く感じられる。僕は彼女の歌を聴いたことがないし、演奏される曲目も僕の関心領域とはちがったゾーンに属するものだ。それでも、一介の音楽を愛好する人間として、彼女の歌にはきっと耳を傾けるだけの何かがあるのだろうと、そう思う。彼女の熱意にはそれだけの説得力が確かにある。そして、だからこそ、まだイベントまで1か月近くもあるというのに、前売りチケットがほとんど売り切れようとしているのです。これって、ちょっとしたことですよね。誰にでもできることじゃないと思う。