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雨の朝、熱いコーヒー、ビリー・ホリデー

冷たい雨が降る朝に、ちょっと早起きして熱いコーヒーをつくり、ビリー・ホリデーのCDを聴きながらそれを飲む。

ぴったりの形容句を与えられた文章みたいに、この3点セットは僕にとってあまりに十全で、どこにも行けないくらい完結していて、どことなく励まされるような気がする。冷たい雨の朝が象徴するなにかと、熱いコーヒーが象徴するなにかと、ビリー・ホリデーが象徴するなにかが合わさって、そこに一つの完成された、代わりの効かない世界観が出来上がる。独立国家ができるみたいに。あるいは、ずっと昔海底に沈んだ文明の遺跡が発見されるみたいに。

それが象徴するなにかに、僕は親しみを覚え、好感を抱き、そっと支持を表明する。冷たい雨の朝と、熱いコーヒーと、ビリー・ホリデーの音楽が象徴するなにかに。ある種の哀しみは僕らの生きる糧になるし、ある時には諦めこそが勇気であり、人生とは選び取るよりもむしろ受け容れるものなのだ。海底遺跡の中で、僕はそんなことを思う。

たぶん、僕らがどれだけがんばろうとも、あるいはどれだけ怠けたとしても、世界は特別良くなったり悪くなったりしないのだ。雨が僕らの都合を考慮してくれないみたいに。それでも、僕らは基本的についがんばってしまうし、怠けることにどこか後ろめたさを感じてしまう。それが本当はどれだけ不必要なものであれ、そうすることをやめることができない。

生きるというのはそんな風に可笑しく、同じくらい哀しいことのように僕には思える。そして、僕は原則的に、その可笑しさや哀しみのことが好きなんだと思う。ビリー・ホリデーの古い曲をいつまでも聴き飽きないでいるみたいに。

coffeeネコゼ

比良晋吾


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